№47 9月のイベント その①関東ブロック研修会
いつの間にか10月を迎え秋風と共に日暮れも早くなりました。浜難聴事務局ブログをスタートして早、2年が経過しましたが、2年目は、体調不良も有り、かなりスローペースになりました。これからも、ぼちぼちマイペースでアップしていきますので引き続きお目通しをいただければ幸いです。9月はイベント続いたので②として浜筆協さんとの交流会や横浜市総合防災訓練の様子を№48でお伝えしますね
(写真1)先日、マンションの敷地内で珍しい色の彼岸花を見つけました。赤だけでなくこんな色もあるのですね
【関東ブロック研修会in海老名】
(写真2)神奈川県中途失聴・難聴者協会の森理事長が毛筆で書かれました。長い間、書道を趣味とし腕前は師範だそうです。
(写真3)写真は所智子氏、ご本人の承諾をいだだき掲載をさせていただきました
9月28日(土)毎年1回持ち回りで開催されていた全難聴関東ブロック主催の最後の研修会が海老名総合福祉会館で開催されました。内容は、NHKの「ワンポイント手話」に出演されていた所智子さんの講演です。テレビでワンポイント手話を一度も見たことがなかったので所さんにお目にかかるのは初めてでした。第一印象は小柄でとても可愛らしい!!結婚されてお子様もいるとお話をされていましたが、まるで20代のお嬢さんのようでした。
3歳の時、はしかによる高熱で服用した薬が原因で難聴になり両親が気がついたのは、小学校2年生の時。この時から補聴器を装用されたそうです。初めての壁は幼稚園児の時、出席確認に返事ができないことや歌の歌詞が分らず、歌えない。⇒先生に叱られる⇒この繰り返しにより聞こえるふりが始まったそうです。聞こえるふりは、叱られない為の防衛本能であり聞こえないことは悪いことだという認識が幼少の彼女に身についてしまったなんてとても悲しいこと!😓
高校生の時、あこがれの男子からデートに誘われた時にも彼の声が聞きずらくてデートから帰ると、ど~んと疲れが出たそうです。当時、彼には難聴だと伝えることは口が裂けても言えなかった。こんな思春期の切ない思い出も話されていました。
小中高と補聴器を装用して難聴を隠し友達の前では楽しいふりをし笑ってその場を凌いでいた。こんな子供時代を「みにくいアヒルの子」とご自身で表現をされていました。「聞こえないことが深いコンプレックスになった」と話されていた所さんの気持ちが,同障の私にも痛いほど伝わってきました。
社会人となって聞こえなくても仕事があるのか?自分は社会の役立たず、こんな人生は早く終わって欲しいと思うほど当時は鬱状態であったと言われていました。自営業の実家の仕事を手伝い23歳で結婚⇒出産⇒子育て中、インターネットで「難聴」を検索し仲間と出会い「手話」を学ぶことを勧められたことが転機となり講習会に通われ「手話」を習得。
手話を学んで自分の障害を開示できるようになり日本語に合わせて手を動かす、生まれて初めてコミュニケーションが楽しいと感じ色々な場に参加をするようになったそうです。私も33歳の頃、東京の三田で手話を学びました。同障の仲間との出会いが立ち直りのきっかけになったので、この辺りの話には深く共感をしました。
(写真4)休憩時間に所さんと一緒にちゃっかり記念撮影・・👍😉
NHKのワンポイントへの出演依頼があった時、全国ネットで自分の「難聴」を開示することになるので勇気が必要だったと言われていました。4年間の契約であったが途中で打ち切りとなったそう。手話表現が「日本語対応手話は学術的専門家がいない」これが理由だったそうです。NHKがこんなことを言うなんて!しっくりと呑み込めない疑問を感じました。
そして現在は、社会福祉を学ぶ「日本社会事業大学」の障害学生支援室に勤務、聴覚障害者の情報保障をコーディネートする仕事に従事されています。ご自身が子供の頃の自分を「みにくいアヒルの子」と表現をされていましたが、今は障害を受け入れて堂々とした「白鳥」に成長をされていると私は思いました。
(写真5)2時間の講演は関東ブロック最後の研修会にふさわしい内容だったと思います。講演会終了後に懇親会が開催されましたが、私は翌日早朝より横浜市の合同防災訓練に参加するため後ろ髪を曳かれながら会場を後にしました。研修会には86名程の参加申し込みがあったそうです。神難聴の皆様お疲れ様でした。
(FAX)045-475-2064 (TEL)045-475-2061
Email: hamananchou1@hamashinren.or.jp